イチロー選手がオリックスブルーウェーブからメジャーリーグに挑戦して19年。
先日、惜しまれながら引退されましたが、その19年の足跡を先日BSで放送されていました。
イチロー 19年の足跡「アメイジングデイズ」
偉大なイチローの目名\ジャーリーグでの活躍を振り返ったこの番組をまとめましたのでぜひご覧ください。
イチロー選手のメジャーリーグ19年の足跡!メジャーデビューから記録・記憶・名言まで!
2001年アメリカに渡ったイチロー選手は数々の記録を残しました。
- シーズン最多安打記録 258本達成
- 10年連続200本安打
- 10年連続ゴールドグラブ賞
- 10年連続オールスターゲーム出場
日本のイチローは、いつしか世界のイチローへと変わっていきました。
イチローが積み重ねてきた記録と記憶、その日々を振り返ります。
イチロー選手の通算成績
打率.311 3089安打
1年目(2001年)
メジャーデビュー
2001年4月2日、イチロー選手がシアトル・マリナーズでメジャーデビューを果たしました。
最初の打席はセカンドゴロ。
3打席凡退の後、第4打席でセンター前、メジャー初ヒットを放つ。
ここからイチローの長い道のりが始まりました。
日本人投手との初対決は4月13日、長谷川滋利投手。
オリックス時代の先輩である長谷川投手からヒットを放つ。
51対51
地元シアトルで行われたオールスターゲーム
イチローはファン投票の全選手トップで選出。
カルリプケンJrやサミーソーサなど数々の名選手とともに、1番センターで先発出場。
まずは1年目、マリナーズの新旧の対決がありました。
ダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソンとの対決。
3年前までマリナーズの背番号51を背負っていた投手との新旧51番対決が実現!
イチローはその51番対決に内野安打を放ちました。
入りロー選手はその時のことを語っており、
「シアトルの51番をなんとしても汚すわけにはいけない、そういう思いが強い」と語っており、
「将来的にはマリナーズの51番といえばイチローなんだという印象を見ている人たちに印象付けるのが大きな目標」とも語っておりました。
ランディジョンソンとの対決はそういう意味でも大きな意味を持つ戦いだったようです。
イチローフィーバーは1年目から凄いもので、アメリカの少年野球でもイチローをマネする選手も出るほどでした。
8月には21試合連続ヒット(2001年8月3日~24日)、
9月にはルーキーの歴代最多安打を更新する234安打目を放ちました。
イチローが1年目に獲得したタイトルは以下の通り
- MVP
- 新人王
- 首位打者
- 盗塁王
- 最多安打
- ゴールドグラブ賞
- シルバースラッガー賞
7つものタイトルを獲得しました。
チームも最多勝記録を樹立(116勝)し、地区優勝を果たしました。
イチローはルーキーながらその原動力となる活躍を果たしました。
【イチロー選手のバッティングでの主な記録】
- 通算打率 .311
- 通算 3089安打
- 首位打者 2回
- シルバースラッガー賞 3回
- シーズン 262安打(歴代1位)
- 新人シーズン242安打(歴代1位)
- 10年連続200安打(歴代1位)
- 5年連続MLB最多安打(歴代1位)
そのバッティング技術の高さは、イチロー選手独特の表現で、「選球眼」だけでなく、「選球体」ということばを使っていました。
2年目・3年目(2002年・2003年)
2002年は208安打、2003年は212安打を放ちました。
4年目(2004年)
キーワード 84
この年、イチロー選手は大記録を塗り替えました。
この年のイチローは神がかっており、
- 5月:50安打(打率.400)
- 7月:51安打(打率.432)
- 8月:56安打(打率.463)
この快進撃で、1920年にシーズン257安打を放った伝説の選手であるジョージシスラーの記録に届くのではないかという期待が高まっていきます。
9月も快進撃は止まらず、10月1日、シーズン残り3試合となったレンジャース戦に2安打を放ちシーズン最多安打の258安打記録を達成しました。
最終的に4年目のシーズンは262安打を放ちました。
イチロー選手はこの時のことを、
「細かいことを積み重ねることでしか頂上には行けない。それ以外に方法はない。」
と語っていました。
守備
エリア51
イチロー選手はそのバッティングだけでなく、守備も優れていました。
ヒットになるはずの打球がアウトになる不思議、それを米軍基地になぞらえ「エリア51」と呼ばれていました。
守備に秀でた選手に与えられるゴールドグラブ賞を10年連続受賞したのも、その守備が優れたものを物語っております。
その守備をメジャーに知らしめたのは1年目、三塁に向かうランナーを矢のような送球でアウトにし、メジャーの実況でも「レーザービーム」という表現で語られ、肩の強さも一気に知られることとなりました。
フェンス際でのホームランボールをキャッチする「スパイダーマンキャッチ」もイチローの守備の凄さを物語る一つでした。
イチロー選手の数々のファインプレーの裏側には、
「頭を使うプレー、予測を常にすること、考えることが大事、先のことを予測することを習慣づける。ビックリするようなプレーをするためには
特別なことをするために特別なことをするのではなく、特別なことをするためには普段の自分でいられることが大事である。」
と語っています。
常に一歩先を予測してプレーする、ファインプレーの裏側にはたゆまぬ練習の他にこうした準備があったからだといえるでしょう。
走塁
イチロー選手は、走塁が一番難しいと語ります。
走塁のことを考えるとパニくるというほどでした。
そんなイチロー選手もメジャーでは通算509盗塁、成功率81.3%の高い数字を残しています。
WBC ワールドベースボールクラシック
2009年、第2回ワールドベースボールクラシックにイチロー選手は日本代表として大会に臨みました。
イチロー選手は1次ラウンド・2にラウンドともに振るわず、33打数7安打。
イチロー選手はこの大会、極度のスランプでした。
準決勝、アメリカを9-4で下し、決勝は韓国。
3対3の同点で迎えた10回表、2アウト1・3塁でイチロー選手の打順、
極度のスランプのイチロー選手にとっては非常に苦しい場面でしたが、全国民の想いの中、見事決勝のセンター前ヒットを放ちました。
日の丸の重圧を背負ったなか、イチロー選手は意地の一打を放ちました。
イチロー選手は、あのプレッシャーの中放ったヒットを、あの打席を打ち破ったヒットは野球人生の中でも非常に大きな一本だったそうです。
ニューヨークヤンキースへの移籍
イチロー選手は、2012年のシーズン途中、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍。
38歳でのスター軍団への移籍で、決して平たんな道ではありませんでした。
7月の移籍後、打撃は好調で戦力として活躍しましたが、在籍した3年間は厳しいものもありました。
イチロー選手は、首になるんじゃないかという思いも持ちながらプレーしていたそうです。
マイアミ・マーリンズへの移籍
2015年、マーリンズへ移籍し、
153試合に出場、91安打 1本塁打 打率.229
の成績を残す。
翌2016年、メジャー通算3000本安打を達成しました。
シアトル・マリナーズへ復帰
2018年、イチロー選手はシアトル・マリナーズへ復帰しました。
ただ、練習試合でのデッドボールなどで調整が遅れ、開幕から1ヶ月で出場は15試合に留まる。
5月3日、会長特別補佐に就任し、2018シーズンの残りの試合に出場しないことを発表。
引退
2019シーズン、再びフィールドに立ちましたが、2試合の出場にとどまる。
2019年3月27日、イチロー選手は引退を表明。
弓子夫人
引退会見で、妻の弓子夫人には感謝の言葉があり、
「妻にはゆっくりしてもらいたいと思います。」
という言葉があり、ホームでのゲーム前には妻が握ったおにぎりを食べていたそうですが、その数が2,800個ぐらいだったそうですが、3,000個握りたかったと語った妻に、3,000個握らせてあげたかったとイチロー選手も語っておりました。