2019年3月21日のアスレチックスとの開幕第2戦(東京ドーム)を最後に現役引退を表明したイチロー選手(本名:鈴木一朗)ですが、2019年5月2日にテレビ朝日系列のアメトーークで「ありがとうイチロー芸人」が行われることになりました。
偉大な記録を残したイチロー選手の小学校・中学校・高校・NPBプロ野球・メジャーリーグでの経歴や生涯成績、名言をまとめました。
アメトーーク「ありがとうイチロー芸人」の放送前にぜひチェックしてみてください。
ありがとうイチロー芸人がアメトーーク放送!引退したイチローの子供時代・生涯成績や名言は?
アメトーーク「ありがとうイチロー芸人」の番組概要
【番組概要】
- 番組名:雨上がり決死隊のトーク番組「アメトーーク」
- 放送局:テレビ朝日
- 放送日時:2019年5月2日(木) よる11:20~
- 出演者:司会)雨上がり決死隊 宮迫博之・蛍原徹
- ゲスト)アンジャッシュ渡部・出川哲郎・陣内智則・中川家礼二・レッド吉田・ますだおかだ岡田・アンガールズ田中・畠山愛理
イチロー選手の経歴
名前 | イチロー(鈴木一朗) |
生年月日 | 1973年10月22日(45歳) |
出身地 | 愛知県西春日井郡豊山町 |
身長・体重 | 180.3㎝ 79.4㎏ |
投打 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
経歴 | 愛工大名電高校ーオリックスーシアトル・マリナーズーニューヨーク・ヤンキースーマイアミ・マーリンズーシアトルマリナーズ |
イチロー選手の子供時代
イチロー選手は、1973年10月22日、二人兄弟の次男として生まれる。
3歳のころに初めてバットを握ったそうで、寝る時もボールを離さないほどの野球好きとして育ちました。
3歳から7歳のころまでは、実に1年の約半分くらいの時間を野球の練習に費やしていたそうです。
イチロー選手の小学校時代
イチロー選手は、小学校3年生の時に地元の少年野球チーム・豊山町スポーツ少年団に所属。
エースで4番として活躍し、小学6年生の時に全国大会に出場。
小学3年生の頃から、学校が終わってから父親と近くの公園で野球の練習をしており、しばらくして飛距離が伸び、場外ホームランを連発するようになったため、町内にあるバッティングセンターにほぼ毎日通い詰めるようになりました。
小学3年生の頃には、すでに球速100キロの球も打っており、イチロー専用の打席もあったそうで、現在もイチローが使っていた専用8番打席が現在もあるようです。
同時期に元日本ハムファイターズの稲葉篤紀も同じバッティングセンターに通っていたそうだが、「速いボールを簡単に遠くまで飛ばしていた。」と記憶しているほどの存在だったようです。
小学校時代からイチローのバッティングセンスは磨かれていたことがうかがえます。
イチロー選手の中学校時代
中学時代は、豊山町立豊山中学校の野球部に所属。
小学校時代の仲間とともに野球をし、エースで3番を打ち、中学3年生の時に全日本少年軟式野球大会に出場し、3位の成績をおさめています。
野球だけでなく、学校での成績も優秀だったそうで、常に学年のトップ10に入るほどだったそうです。
中学での活躍もあり、地元愛知の多くの高校からの誘いがあったそうですが、特待生として愛工大名電高校に進学。
スポーツ推薦ではなく、成績優秀者として特待生で入学したそうです。
イチロー選手の高校時代(愛工大名電高校)
入学時から地元では有名な選手で、名門である愛工大名電高校で1年時から即レギュラーポジションを獲得。
三塁手で打順は1番や3番を任されるほど。2年時の夏は3番レフトで甲子園に出場。
3年生の春の甲子園では投手として3番エースで甲子園に出場しました。
甲子園では2度(2年夏・3年春)出場するも、いずれも初戦敗退に終わっています。
【イチロー選手の高校時代の成績】
- 1年時(1989年):甲子園出場無し
- 2年夏(1990年):甲子園1回戦 1-6 vs天理高校
- 3年春(1991年):甲子園1回戦 2-3 vs松商学園高校
- 3年夏(1991年):県大会決勝戦 0-7 vs東邦高校
- 甲子園成績:9打数1安打
- 高校3年時の地方大会の成績:打率7割以上
- 3年間の高校通算成績:536打数269安打、打率.501、本塁打19本、二塁打74本、三塁打28本、盗塁131個
NPB プロ野球時代(オリックス・ブルーウェーブ)
1991年 オリックス ドラフト4位指名
- 1992年~2000年:オリックス・ブルーウェーブ
中日とオリックスがドラフトでの指名を予定していたが、ドラフト5位指名を予定していた中日に対し、4位で指名したオリックスが指名権を獲得した。
イチロー自身は幼少期から中日ドラゴンズファンで、中日ドラゴンズを希望していたが、当時のオリックス・ブルーウェーブの東海地区担当だった三輪田勝利スカウトのバッティングに対する評価が高かったことから、中日への入団は幻に終わり、オリックスへ入団することとなった。
【プロ野球時代の年度別打撃成績】
年度 | 試合 | 打席 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1年目(1992年) | 40 | 99 | 24 | .253 | 0 | 5 | 3 |
2年目(1993年) | 43 | 67 | 12 | .188 | 1 | 3 | 0 |
3年目(1994年) | 130 | 616 | 210 | .385 | 13 | 54 | 29 |
4年目(1995年) | 130 | 613 | 179 | .342 | 25 | 80 | 49 |
5年目(1996年) | 130 | 611 | 193 | .356 | 16 | 84 | 35 |
6年目(1997年) | 135 | 607 | 185 | .345 | 17 | 91 | 39 |
7年目(1998年) | 135 | 558 | 181 | .358 | 13 | 71 | 11 |
8年目(1999年) | 103 | 468 | 141 | .343 | 21 | 68 | 12 |
9年目(2000年) | 105 | 459 | 153 | .387 | 12 | 73 | 21 |
NPB通算(9年間) | 951 | 4,098 | 1,278 | .353 | 118 | 529 | 199 |
メジャーリーグ時代
2000年、11月に日本人初のポスティングシステムによる独占交渉権をシアトル・マリナーズが1300万ドル余りで獲得し、3年契約にて合意。
3年総額1400万ドルで正式契約を結び、日本人野手初のメジャーリーガーとなった。
- 2001年~2012年(途中):シアトル・マリナーズ
- 2012年(途中)~2014年:ニューヨーク・ヤンキース
- 2015年~2017年 :マイアミ・マーリンズ
- 2018年~2019年(途中):シアトル・マリナーズ
2001年の1年目から活躍し、4月から5月にかけて2か月連続で月間新人MVPを受賞。
オールスターゲームではファン投票で337万票を獲得し、両リーグ通じて1位となる得票数でオールスターに選出された。
8月・9月にも月間新人MVPを受賞、マリナーズの地区優勝にも大きく貢献した。
安打もシーズン242本で当時歴代9位の記録を残し、メジャーリーグの新人最多安打記録を更新、新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー翔・ゴールドグラブ賞のタイトルを獲得。
2004年は、84年間破られることのなかったジョージ・シスラーのメジャー歴代シーズン最多安打記録を5本上回る262安打を記録。
2006年は、この年初めて開催されたWBC ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選出される。
日本代表を牽引し、決勝のキューバ戦では二塁打やタイムリーを放つ活躍で、チームを優勝に導いた。
WBCでの成績は、33打数12安打、打率.364、1本塁打、5打点、5盗塁で外野手部門のベストナインにも選ばれた。
2009年は第2回WBC ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選ばれ、2大会連続での出場を果たす。
大会を通じて不信ではあったものの、日本代表の監督であった原辰徳は全試合でイチローを1番に起用し、決勝の韓国戦では延長10回に値千金の2点タイムリーを放ち、連覇に貢献した。
2009年9月6日、メジャー通算2000本安打を達成。9シーズン目での到達は史上最速。
2012年7月23日、D.J.ミッチェル、ダニー・ファーカーとの2対1のトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍。
チームは地区優勝を決め、イチローにとって2001年のメジャー1年目以来12年ぶりの地区優勝となった。
ポストシーズンでは全試合2番打者として出場し、デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズに臨むも、チームは4連敗を喫し敗退した。
2015年1月27日にマイアミ・マーリンズと年俸200万ドル+出来高の1年契約を結ぶ。
2018年、3月7日、マリナーズとメジャー契約を結ぶ。
年俸は75万ドル、出来高でマイアミ時代の年俸である200万ドルまで増額されると伝えられる。
このシーズンは15試合の出場で9安打、打率.205に留まり、5月3日、マリナーズとスペシャルアシスタントアドバイザー(会長付特別補佐)の契約を結び、選手としては2018シーズンの残り試合に出場しないこととなった。
また、この契約により、半永久的にマリナーズに留まることとなった。
2019年1月24日、マリナーズとマイナー契約を結び、3月20日にメジャー契約に切り替わる。
3月20日・21日に行われる日本(東京ドーム)での開幕2連戦に出場。
3月21日、開幕2連戦への出場を終え、現役引退を発表。
【メジャーリーグ時代の年度別打撃成績】
チーム | 年度 | 試合数 | 打席数 | 安打数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
SEA | 2001年 | 157 | 738 | 242 | .350 | 8 | 69 | 56 |
SEA | 2002年 | 157 | 728 | 208 | .321 | 8 | 51 | 31 |
SEA | 2003年 | 159 | 725 | 212 | .312 | 13 | 62 | 34 |
SEA | 2004年 | 161 | 762 | 262 | .372 | 8 | 60 | 36 |
SEA | 2005年 | 162 | 739 | 206 | .303 | 15 | 68 | 33 |
SEA | 2006年 | 161 | 752 | 224 | .322 | 9 | 49 | 45 |
SEA | 2007年 | 161 | 736 | 238 | .351 | 6 | 68 | 37 |
SEA | 2008年 | 162 | 749 | 213 | .310 | 6 | 42 | 43 |
SEA | 2009年 | 146 | 678 | 225 | .352 | 11 | 46 | 26 |
SEA | 2010年 | 162 | 732 | 214 | .315 | 6 | 43 | 42 |
SEA | 2011年 | 161 | 721 | 184 | .272 | 5 | 47 | 40 |
SEA/NYY | 2012年 | 162 | 663 | 178 | .283 | 9 | 55 | 29 |
NYY | 2013年 | 150 | 555 | 136 | .262 | 7 | 35 | 20 |
NYY | 2014年 | 143 | 385 | 102 | .284 | 1 | 22 | 15 |
MIA | 2015年 | 153 | 438 | 91 | .229 | 1 | 21 | 11 |
MIA | 2016年 | 143 | 365 | 95 | .291 | 1 | 22 | 10 |
MIA | 2017年 | 136 | 215 | 50 | .255 | 3 | 20 | 1 |
SEA | 2018年 | 15 | 47 | 9 | .205 | 0 | 0 | 0 |
SEA | 2019年 | 2 | 6 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 |
通算(19年) | 2,653 | 10,734 | 3,089 | .311 | 117 | 780 | 509 |